私の父が介護認定を受ける際最も頭を悩ませたのは父が医師の前で驚くほどシャキシャキと振る舞ってしまうことでした。家では一人で靴下も履けずトイレの場所さえ忘れてしまうことがあるのに病院の診察室に入った途端に背筋をピンと伸ばして先生の質問に完璧に答えてしまうのです。先生がお食事はご自分でできますか?と聞けば父は迷わずもちろんです何でも美味しく食べていますよと笑顔で答えます。私は後ろで本当は箸も満足に持てないのにと喉まで出かかった言葉を飲み込み非常に歯がゆい思いをしてきました。このシャキシャキ問題こそが医師の意見書を実態から遠ざけてしまう最大の盲点であることを私は後になって知りました。介護認定のために医師の意見書を書いてもらう際医師は主に過去の診療データとその日の問診から判断を下します。もし診察時間が短ければ医師は父のあの作り上げた元気な姿をそのままカルテに記載し自治体に提出してしまいます。そうなれば届く結果は自立や要支援といった現状の苦労を反映しない軽いものになるのは目に見えていました。私は焦りを感じ次の診察までに父の日常を記録した一通の手紙を書くことにしました。そこには夜中に三回も起きて冷蔵庫を開けっぱなしにすることや着替えに一時間以上かかり前後を逆に着てしまうことそして感情の起伏が激しく家族が疲弊していることを感情的にならずかつ冷静に客観的な事実として記しました。受診当日父が診察室に入った直後に私は看護師さんにその手紙を託しました。先生に読んでいただきたいんですと一言添えて。診察が終わった後先生は私だけを呼び戻しお父さんの本当の姿がよく分かりました意見書にはこれらをしっかりと反映させますねと言ってくださいました。届いた判定結果は私たちの実態に即した要介護二でした。この結果が出たことでようやく手すりの設置やデイサービスの利用という具体的な支援に繋がることができました。もしあの時私が遠慮して手紙を書かなければ父の見栄によって私たちの介護生活は早々に破綻していたかもしれません。医師は超能力者ではありません。診察室という非日常の空間で日常のすべてを見抜くことは不可能です。だからこそ家族が翻訳者となって本人のプライドを傷つけない形で真実を伝えることが良い医師の意見書を作ってもらうための必須条件なのです。介護認定を受けるには制度の知識も大切ですがそれ以上に身近な人間の観察眼と医師への情報提供の勇気が必要なのだと痛感した出来事でした。医師を信頼しつつも自分の目で見た事実をプロの言葉に変換してもらうための働きかけを怠らないことが本人にとっても家族にとっても最も幸せな結末を導き出す唯一の道なのだと今では確信しています。
診察室で元気を装う親の姿と意見書作成の意外な盲点